人間には多くの考え方を持って日々を生活しており事件・事故に遭遇しても、どの様に解決していけば良いのか理解出来ずに悩み苦しんでおる人が多いと思われる。目先の事しか考えられずに大きく眼(まなこ)を開いて考える余裕が無く思いつかない事ばかりで悲しく思われます。神を拝する事や神に願ってもどうにもならない解決出来る物ではないと考えておるからであろう。その様になる迄には紆余曲折(うよきょくせつ)の瞬(とき)を過ごし頭の中だけで解決しようと思っておるからであり相談する人も少なく段々と深みにはまってゆくのである。その様になってくると自分だけがどうしてその様になるのかと自暴自棄(じぼうじき)になり、目先の事しか分からず、どうにでもなれと思うのであろう。誠に身勝手な事ばかりで解決のしようがない悲しいものです。
神を拝する事が出来る人は、その様な事になる前に己自身が善処しようとするので元の姿に立ち戻る事が出来喜びと感謝に変える事が出来るのです。素直なる心に立ち戻るが尊いのであり、今の日本の情勢を知りつつ地道に生きる努力をしておっても躓(つまづ)き、転び痛みを感じながら生活しておるも事実である。一日一日を行動する時に目に見えない神に祈願してから出発する事を願うばかりであります。
人はそれぞれの器をもってこの世に誕生するのであります。その器を大きくするのも小さくするのもその人が持っておる生き様によって決まるのであり、大自然たる神が生命を授けてその人の器を見守りながらどの様に人生を全(まっと)うするかを照覧しておられるのであります。そしてその人の器が小さいければ受け入れるものが少なく大きくしようと背伸びしても中々、難しいものだと思われます。よく聞く事でありますが、人と接していると鳥肌が立つと言われてますが、それは相手の器が自分より大きいからであります。何事も自然体の中で己の心を無にする事であり、私という字は禾(のぎ)へんにム(む=無)と書きます。このムを口に変えますと和になり和は安定した心豊かな人生と共に私心を捨て去り和の心を持って物事に接する時、全てが平和になるのではないでしょうか。
「和と優しさをもって尊し」これが人間としての最大限の器であり、それに近づくように努力したいものです。

平成二十一年一月二十五日