此の世に生命を頂いて父、母に育(はぐく)まれて物事が分かるまでに成長し家族の喜びも一汐(ひとしお)であり、この子に塾やスポーツ等を教え込んで一流の企業に秀(ひい)でた選手を夢見て成長して参ります。しかし乍ら今日(こんにち)の父、母は何事も一流をめざす為に多くの金品を費(つい)やして未来の子供の成長を願うばかりであります。日本人が持っておった伝統文化を忘れ去っていく有様(ありさま)。「礼に始まり礼に終わる」という先人から教へられて来た言葉、そして人と人に対する心を忘れ去って育っておる人が多く見うけられます。子供の頃から父、母は子供の未来像を頭に画(えが)きながら育てて参りますが常識学が備わってない事が目につきます。「人に迷惑をかけてはならぬ」この様な事を教える事なく己(おのれ)一人が良ければ良いという教えの家族が多く悲しいばかりであります。この様な事がいつの日から変っていったのであろうか。昔、子供は子供らしさ大人は大人らしさが必要であるという立派な日本人が存在していた気がします。私は神道人として神の存在を教えられ育って参りました。目に見えない者、人との接し方など祖父母にたたきこまれ今になって感謝しております。今の日本人は少なからずその様な教えをされておらない様に見えます。先述した己だけが良ければ他人がどう思おうが関係ないと。そして子供がどの様な事をしておっても「ケガ」さえしなければ何をしても良いと思う親が本当に多い事悲しい限りであります。これは学校教育片寄り、はき違えた自由主義の悪しき教えかと思われる。
私は戦後生まれであり、全体責任の教育で育ち、教師一人ひとりが責任を持っておった様な気がしてなりません。
本来の教師の立場に立ち戻って今一度教育とは何かを問い直して行き直さなければならないと思います。しかしながら今日(こんにち)の教師等はサラリーマン化しておる様に見受けられます。学校のみで教育するだけではなく、家に於いても善悪を教え導かなければならない責務があります。その教えを心に留めておる人等はどの様な事があろうと動ずる事なく他人に対して優しく己に対して厳しく人生の岐路に立ってもやり抜いてゆけるのでないだろうか。
目に見えない者に尊厳をもって心を養ってゆかねばと思います。


平成二十三年七月一日