由緒と御祭神

思金神社は、八意思金大神と下照姫神の二柱を御祭神としてお祀りしております。

思金神社の御祭神である思金大神(オモイカネオオカミ)は、
「金」に総じて御神徳があるとされ、
天照大神(アマテラスオオミカミ)の知恵袋として有名な知恵の神様であります。

御祭神 八意思金大神(ヤゴコロオモイカネオオカミ)
下照姫神(シタテルヒメ)
ご神徳 金運・財運、学問・知恵、商売繁盛、五穀豊穣、出世、開運招福、方位方除、気象、建設・建築、和歌・技芸、縁結び
 

由 緒

 

思金大神は、国譲り、天孫降臨、天岩戸開きといった重大な局面で大活躍され、金融や金銭資産などの金運・財運に大きく関わり、その御威徳から学業や資格、経営、商売、出世、開運、工芸、技芸に御利益が高く、とりわけ知恵、思考、思慮を神格化した神として崇められております。今でいうプロデュースやディレクション、マネジメント、エンターテイメント、クリエイティブの分野にも御神徳の高いマルチプレイヤーの神様であります。

 

天岩戸開きで、暗闇になってしまった世に太陽を取り戻したことから、思金大神は8つの気象条件を司る「気象の神様」としても祀られています。方位除けや建設の神としても御神徳が高く、熊野宮や伊雑宮(いざわのみや)創建の総指揮官を務め、建築・建設業、鉄道、金属産業、農林業、水産漁業、服飾・理美容業、飲食業、防犯・防災など、金属を用いた道具や器具を用いる産業全般にご利益があるとされています。

 

現在、横浜市栄区上郷町にございます思金神社の社殿は、もともと昭和3年に白山神社の拝殿として建立されたものでした。白山神社の周辺一体は広大な丘陵地帯からなる里山でしたが、昭和30年代後半から昭和50年代前半にかけて大規模な宅地開発が行われ、白山神社は昭和51年に東上郷町の住宅地へ移転。これに伴い、拝殿は白山神社に合祀され、当社の二代目宮司がこの社殿を受け継ぐ運びとなり、御祭神及び社名を変更して「思金神社」と改名いたしました。

当社でお祀りしております御祭神は、カツオ漁船一本釣りで有名な高知県幡多郡佐賀町(合併により現在の町名は幡多郡黒潮町)にて祀られていた御神霊(おみたま)をお移ししたものです。境内にございます神力あふれる霊動石は、高知県を流れる名流・四万十川源流で採取された霊石で、悪しきところを祓い清め心癒やされるパワーストーンです。

 

当思金神社は、2022年に建立120年を迎えます。これを記念して、御本殿の整備事業に取り組んでおります。新しい時代にふさわしい御本殿の新築御造営に向けて、何卒、別格のご賛同をいただけますと幸いです。

 

思金大神とは

  

汲めども尽きぬ、高天原の智恵袋・思金大神

思金大神イラスト

  

天界のスーパープロデューサー

思金大神は、天地開闢のはじまりに現れた造化三神の一柱・タカミムスビノカミ(高皇産霊神)の子で、生まれながらの知恵者です。天照大神の臣の最上位である左の臣を拝命し、遷都の采配を任され、神代の教えを説かれました。

 

日本書紀には「思兼神」と記され、「思」は思慮、「金」には「兼」の字を充て、「多くの思慮を兼ねている神様」とされ、思金大神のお働きを「深謀遠慮」と表現されており、将来を見据えたビジョンを描く知恵の神であります。

 

思金大神は「八意(やごころ)思金大神」とも称され、「八意」とは多くの意見を聞くと解し、この神格への尊称であることから「八意様」ともしております。

 

国学者である本居宣長(もとおり・のりなが、1730年6月21日-1801年11月5日)が著した『古事記伝』には「思は万葉三に歌思辞思為師(うたおもひことおもはしし)と云る思ヒにて、思慮なり。金は兼にて、数人(あまたびと)の思慮る悟りを一の心に兼持てる意なり」とあり、思慮深く多くの人の思いや考えを一柱で兼ね備えているほど頭のいい神様と解釈しています。

思金大神とは…

  • ワカ姫とのくだりで謙虚な振る舞いを通して
    歌の奥義を示す懐の深さを持ち備える神
  • 天照大神の御代の最高位、左の臣を拝命し遷都の采配を任され、
    重鎮として知識と指導力を兼ね備えその力を発揮なさる神
  • 天照大神の大切な皇子の御養育を託されるほど、
    主君からの信頼を得ていた神   
 

何といっても思金大神の名声を上げたのは、当思金神社オリジナルの御朱印帳にも描かれております、天之岩戸開きの伝説です。

 

スサノオ(須佐之男命・素戔嗚命)が数々の悪行を繰り広げたため、太陽神アマテラス(天照大神)は天之岩戸へお隠れになられてしまい、天地は闇に覆われました。高天原ではアマテラスの重鎮で知恵の神である思金大神が中心となって策を練り、諸神の指揮をとりました。そうして天岩戸大作戦は大成功を収め、再びこの世に太陽の光が戻ったのです。

 

下照姫神とは

  

美しく聡明な和歌の神様

下照姫神イラスト

  

イサナギ・イサナミの初子で天照大神の姉君

シタテルヒメ(下照姫神)は、アマテラス(天照大神)とスサノオ(須佐之男命・素戔嗚命)の姉にあたり、イサナギ・イサナミの最初の御子です。シタテルヒメはヒルコ姫・ワカ姫・稚日女(ワカヒルメ)とも呼ばれ、紀州・和歌山の語源にもなっている和歌の神様でもあります。

 

イサナギ・イサナミの初めての御子は、昼間に誕生したので「ヒルコ姫」と名付けられました。この時、父イサナギの年は四十、母イサナミが三十一で、二年後は大厄にあたる「天の節」に当たりました。その大厄を祓うため、わずか三歳でヒルコ姫は船に乗せられて海に流されます。 ※これが今でも各地で行われている雛流しの風習のもとです。

 

ヒルコ姫は流れ着いた兵庫でカナサキ(金折命)夫妻に大切に育てられ、カナサキに歌の手ほどきを受け、聡明に育ちました。後に再び一緒に暮らすことになったイサナギ・イサナミ両神からも歌の道を教えられ、枕詞の意味をすらすらと解く程に和歌の奥義を尽くし、若い頃の思金神が知恵の神でありながらたじたじになるほど和歌の才能に長けていました。

恋愛・結婚・縁結びの神様、思金大神と下照姫神

思金大神と下照姫神は、恋愛で結ばれた夫婦で、恋愛・結婚・縁結びの神様でもあります。 それは、まだ思金大神がアチヒコ(阿智彦)と呼ばれ、下照姫神がワカ姫(和歌姫)という名だった頃のことです。

下照姫神と思金大神様のなれそめ

ある日、アマテラスの使者アチヒコ(阿智彦・思金大神になられる前の名)が玉津宮にやってきました。アチヒコを見たワカ姫(和歌姫・下照姫神になられる前の名)は、一目でアチヒコを好きになってしまいます。アチヒコに恋い焦がれたワカ姫は、思い兼ね思い悩み、矢も盾もたまらず、その思いを歌にしたためて知恵を絞った和歌のラブレターをアチヒコに贈りました。

きしい(紀志井)こそ  つま(妻)をみきわ(身際)に  こと(琴)のね(音)の
とこ(床)にわきみ(吾君)を  ま(待)つぞこい(恋)しき

当時、結婚は仲人をたててするものでした。聡明で美しいワカ姫から仲人もとおさずに想いを伝えられ、アチヒコは驚き、どう返事をしたらよいのかと思い悩みます。返す言葉も見つからず、この歌身を持ち帰り、朝廷の神々に相談しました。 カナサキはこの歌を見て、「これは返す事のできない回り歌というものです。決して断ることはできません。ワカ姫の歌の雅も返してはいけません」といい、舟歌を詠みました。

長き夜の 遠の眠りの 皆目覚め 波乗り船の 音の良きかな

この歌も、上から詠んでも下から詠んでも同じという回り歌でした。
風は止み、船は無事に阿波につきました。天照大神の勅り(みことのり)を賜り、カナサキが仲人となって、二人は結ばることになりました。



アチヒコはその後、思金命(オモイカネノミコト)と名乗り、安河(滋賀県野須洲町)に宮を設けて末永く仲睦まじく暮らしました。この時、ワカ姫は下照姫(シタテルヒメ)という新しい名をもらいました。下照姫という名には、天照大神の下で世を照らす、という意味もあるのでしょう。

思金神社 四代目宮司・瀧森 好

崇敬会のご案内

思金神社は全国津々浦々の方々に御祭神を敬まっていただく崇敬神社でございます。氏神様ではありませんので、どなたさまにもお参りいただけます(氏神とは、自分が生まれた土地の守護神・鎮守の神であります)。

当神社は御祭神の御神徳を仰ぎ敬い、祈願をして成就を願う大勢の方々の祈り心を頂戴して運営をしております。

崇敬会に入会して頂ければ幸甚に存じます。当神社の崇敬会は八意思金大神様のご神威をいただく集まりとして、敬神生活の中から自己研鑽のもとに、日々の発展を計るとともに家運隆昌と健全なる社会生活を願い、思金神社の護持発展に寄与し明るい社会つくりに努める崇敬者の集いです。

 
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